創業メンバーの出会い
当社の創業経緯を話す際に避けて通れないのが、代表三屋および山口の出身企業であるクウジット社です。ソニーCSLのスピンアウトベンチャーであり、研究開発型のベンチャー企業として独自の技術・サービスを展開していました。
そこに正社員第1号として入社していた三屋、第2新卒として入社した山口が出会い、約5年間一緒に仕事していくことになります。
ちなみに、後にミルディア社員となる岡田もまさにこの時期を同社で全て一緒に過ごしていた仲間になります。
自社技術・サービスの研究開発を下支えする受託開発
後にミルディアとなっていくメンバーは、当時から受託開発業務を多く手掛けていました。
華々しく自社技術・サービスをリリースしている企業が、実際にはその裏で受託開発で運転資金を稼ぎ出しているのはとてもとてもよくある話だと思います。
その是非を問うつもりは全くなく、むしろ縁の下の力持ちだと思って誇りを持って取り組んでいたと思います。
しかしながら、外部投資も受けている会社の方向性としてはやはり自社特有の技術・サービスが中心であり、しばしばそれに振り回されることもありました。
継続的なお客様からのご相談を泣く泣く断らざるをえないケースがあったり、逆に短期間でその分を補填する別の受託案件を獲得する必要に駆られるなんてことも今となれば懐かしい思い出です。
受託開発では主役になれないのだろうかってこの頃の思いが、その後ミルディアが受託開発専業となっていくきっかけになります。
案件を取るか、三屋を取るか
そんなメリハリのある年月を送る中、三屋が爆発し、自分を取るか、規模も金額も同社最大となる案件を取るか、と会社に迫ることがありました。
当時三屋は、開発部長として社内のあらゆる開発に参加して多忙を極めており、パートナー企業からは「何時に連絡してもすぐに返事が来る」「いつ寝てるんですか?あのスーパーマンは」と驚愕されていました。
この時の経営陣の心中にどれほどの悩みと葛藤があったか、今となっては想像するのも恐ろしいですが、結局これを1つのきっかけとして三屋の退職が決まっていきます。
自分が一緒に仕事した最初のエンジニアであり(後に出会うエンジニアさん達に過大な期待を背負わせることになりました。だってエンジニアの基準が三屋だったから 苦笑)、
入社以降、あらゆる開発案件で相談してきていた三屋がいなくなるなんて想像もしていませんでした。
転職か、起業か
そんな三屋は背負っていた多くのプレッシャーから解放されかのように初めての就職活動を開始していました(大学・研究生活から直接入社していたため就職活動は未経験、外資企業でインターンの経験はあるものの、一般的な日本企業における就業経験はなし)。
印象的だったのは、学歴・経歴は申し分ないにも関わらず、意外にもそれなりに苦戦していたことです。
「自分のラップトップなしに、ググることもなしに書けって言われても書けんわ...」と話していたことが新鮮でした(できないこともあるんだなと)。
同時に、別の選択肢としていっそ起業してしまうかと考え始めたようでした。
「お前が来てくれるなら先に会社作って待っとく」
確信を持って言えるのは、きっとこのセリフを彼は覚えていない!
半分冗談だったか、釣り文句だったか、ある日口走ったセリフは衝撃的でした。
当時の唯我独尊・完璧超人三屋からまさかこんな言葉をかけられるとは思っていませんでした。
実はそれ以前に独立を考え始めていた山口は、最大取引先企業に出禁をくらうなど、普段の問題行動で社内立場の悪くなっていたこともあり、まんまと気持ち良くなってこれに乗る決断をします。
社名に込めた想い
若干相談された気もしますが、社名は三屋が考えたものです。
本人にとって第2の故郷(日本以外で最も長い時間を過ごしたことのあるという意味だそう)であるフランス語を取り入れています。
「MILLE : 1,000(たくさん) 」+「IDEA : アイデア」= MILLDEA
MILLDEA(ミルディア)は、「たくさんのアイデア」という意味を込め社名にしました。
数多あるアイデアを組み合わせ、最適なルートを照らし出します
コーポレートサイト作成時に、本当は以下の山の稜線上にいくつもルートが浮かびあがるようなアニメーションを入れたかったけど、開発期間・費用の関係で断念した経緯があります
三屋送別会の様子
ここまでを聞くとクウジット社との関係を疑われそうですが、とても良好です。
若かりし自分達に積極的になんでも任せてくれたことに感謝の念が堪えないというのが嘘偽りのない本心です。
現在当社が協力してもらっている開発パートナーには、個人・法人問わず当時から続いているご縁がいくつもあります。こういったご縁を得ることができた本当に貴重な時間でした。
送別会の様子もとても和やかにかつ感動的だった記憶があります。
こういう姿を見ることもう少なくなるんだなーと寂しく感じていました
クウジットの皆が山口送別会に向けて用意してくれた盾は今も当社の玄関に飾られている
そして、なぜか今もクウジット社の入館証を持っているので、いつかお返ししないとと思っています。。(何度か尋ねたのですが、持ってていいよって言われて甘えてしまっていました)
創業後の数年は、山口に払ってもらう給料なくて三屋個人資産を会社に入れて払ってもらったり、無理して獲得した案件が途中で立ち消えになって回収できないなんてことも複数回あったりしました。
今では収支も安定し、継続的に利益を出しながら社員数が10人超えてくれていることは本当に喜ばしい限りです。